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* まもなく移轉
當サイトはまもなく移轉します。

* みっくみく事件の決着
驚いた。ドワンゴが殆ど完全に折れる形で、しかもこんなに早く決着が付くとは思はなかった。こんな結末になるとは夢にも思はなかった。

* Quốc ngữ と日本語
ベトナム語は六つの聲調を持つ言語であるが、現在それを表記する爲に用ゐられてゐる Quốc ngữ ではその六声調を書き分ける事が出來るらしい。

* 自然物と信仰/生體機械としての人間/初音ミク/オープンソース戰爭
みっくみくが JASRAC された件には非常にもやもやとさせられる。だから出來るだけ消化しようと試みた。Every man thinketh his burden is the heaviest.

* HsHyperEstraier 0.1
HyperEstraier の Haskell 用バインディングである HsHyperEstraier を公開した。

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_ martes, 25 diciembre 2007 みっくみく事件の決着
Cuenta Larga = 12.19.14.16.17; tzolkin = 1 Caban; haab = 5 Kankin [Trackback Ping]

 http://blog.crypton.co.jp/mp/2007/12/post_63.html
 http://blog.nicovideo.jp/niconews/2007/12/000756.html

 驚いた。ドワンゴが殆ど完全に折れる形で、しかもこんなに早く決着が付くとは思はなかった。こんな結末になるとは夢にも思はなかった。

 ドワンゴの得たもの
・「みっくみく」一曲の配信から得られる利益の一部

 ドワンゴの失ったもの
・有象無象からの信用
・これから手にする筈だった初音ミク利權

 ニワンゴの得たもの
・無し

 ニワンゴの失ったもの
・ニコ動プレミアムユーザーと動畫の一部。とばっちり。

 クリプトンの得たもの
・有象無象からの信用

 クリプトンの失ったもの
・多分無し

 JASRAC の得たもの
・「みっくみく」一曲の配信から得られる利益の一部

 JASRAC の失ったもの
・無し。これ以上失へる信用は無い。

 ミクの得たもの
・知名度
・愛

 ミクの失ったもの
・「みっくみく」一曲の自由
・騒動に嫌氣が差した潜在的ユーザー

_ lunes, 24 diciembre 2007 Quốc ngữ と日本語
Cuenta Larga = 12.19.14.16.16; tzolkin = 13 Cib; haab = 4 Kankin [Trackback Ping]

 ベトナム語は六つの聲調(聲の高さによって意味が變はる事)を持つ言語であるが、現在それを表記する爲に用ゐられてゐる Quốc ngữ (クォック・グー) ではその六聲調を書き分ける事が出來るらしい。また、アクセントの無いフランス語、ほぼ例外無く語頭に強アクセントが置かれるドイツ語やフィンランド語、強アクセントの位置が規則的に決まってをり例外はアキュート記号で示すスペイン語などは、文字として書かれた通りに正確に發音する事が出來る。しかし日本語は高低アクセントを持ちながら、平假名、片假名、ローマ字のいづれも高低アクセントを示す事が出來ない(だから漢字が必要)。

 平假名や片假名に濁點と半濁點以外の記号を付ける事は今更出來ないが、ローマ字ならば付けられるのではないか。高から低への移行にグレーヴ、低から高への移行にアキュートを付け、變化が無ければ何も付けないと云ふ規則はどうか。例へばこんな風に。

 Bétonamu-go ha múttsu no sēchō wo mótsù géngò de árùga, génzaì soré wo hyóùki suru tamé ni mochíirarèteiru kuwókku gū dehà sonó rokú sēchō wo kakíwakerù kóto gà dekírù ráshī.

 めんどくさいだけだね。どうせ誰も日本語をローマ字なんかで書かないし。

_ miércoles, 19 diciembre 2007 自然物と信仰/生體機械としての人間/初音ミク/オープンソース戰爭
Cuenta Larga = 12.19.14.16.11; tzolkin = 8 Chuen; haab = 19 Mac [Trackback Ping]

 自然物と信仰の區別

 一般に、或る物事 X が元から存在した自然物もしくは概念であるのか、それとも人間の頭の中にだけ存在する人間の考へた概念であるのかを判別するのは簡單だ。その X が、猫にとって――猫が嫌ひなら犬でも他の動物でも植物でも良いが――意味を持つかどうかを考へるだけで良い。土や水や木は猫にとって意味を持つ。だから自然物だ。雨や雪、昼と夜、風、これらは現象であって物ではないが自然物と見做して良い。肉体的な性別(セックス (sex) )は、少なくとも鳥類や哺乳類にとっては意味を持つから自然物。精神的な性別(ジェンダー (gender) )は――本當の處は猫に尋ねなければ判らないが、まあ、多分意味を持たないだらう。では國家はどうか。猫は國家を知らず、人間のみが國家を持つ。猫は安全と危險の違ひを知ってゐる。平和は知らない。人種、出自。人權、債權、所有權。これらはいづれも猫にとって意味を爲さず、人間達の中で少なくない割合を占める人々が、それが存在すると思ひ込み信仰してゐる爲に、人間社会の中に限って存在してゐる。著作權も同じだ。著作權は、それを信ずる人々の信仰によって、その存在が支へられてゐる。それが信じられてゐる範圍から一歩でも外に出れば、もうそこには存在しない幻想だ(→ 知的所有権は「ばかには見えない服」)。國家や人權が幻想であると言ひ放つには餘りにも多くの血が流れ過ぎてゐるが、暴論は承知で敢えて然う言はせて頂きたい。

 信仰するのが惡いと言ってゐるのではない。私も例へば(變な誤解をされると嫌なので滅多に口に出さないやうにしてゐる事だが)この日本の土地の色々な所に神々が御座 ( おは) します事を無意識のレベルで信じてゐる。ただ、信仰と自然物を混同するのは良くない。倫理的に良くないと言ひたいのではなく、それをすると (ろく) な事が無いから良くないのだと言ひたい。


 ミーム (meme) を實行するハードウェアとしての人間

 人間と信仰の關係は――ここからは信仰ではなくもっと正確にミームと呼ぶが――人間とミームの關係はハードウェアとソフトウェアの關係に (なぞら) へられる。人間の視點ではなくミームの視點に立ってみれば、人間はミームを實行しミームを傳達する爲の生體機械だ。全ての XX 主義者は XX 主義と云ふミームを(機械的にではなく)生物的に實行してゐるに過ぎず、そのやうに考へれば XX 主義者の行爲にその行爲者の意思は存在しないものとして良い。従ってその XX 主義者がどんな衝撃的な事をしても、その人間が何か良い事をしたり惡い事をしたりしたわけではない。ただ XX 主義に感染し、それを生物的に實行したに過ぎない。

 ところで佛教徒はミームの實行を完全に辭める事をどうやら「解脱する」とか「涅槃に入る」とか言ふらしい。まあ私には關係無いしこの記事にも別に關係無い。


 初音ミクが JASRAC された件について

 みっくみくがJASRACされた?!(訂正というか続き?)
 我々の立場から見れば、初音ミクの起こした動きは DTM オリジナル曲の文化が新たな活力を得た動きと云ふ事になるのだが、かつて教會を通さずに直接神にアクセスした者が魔女として殺害されたのと同じやうに、利権團體を通さずに直接個人が曲や映像を作って個人がそれを視聽すると、何故か利権團體には大きな打撃が與へられる事になる。魔女の行爲によって教會の存在意義が脅かされた事と同樣に、個人製作・個人視聽によって利権團體の存在意義が脅かされるからだ。だからここへ來て突然 JASRAC が牙を剥いたわけではなく、恐らくはドワンゴが牙を剥いたわけでもなく、この事件は今まで延々と續いて來た著作權主義ミームと著作自由主義ミームの戰爭の一局面に過ぎない。結果としてこれはみっくみくの作者がJASRAC に權利を譲り渡す事がどんな意味を持つのか知らなかった爲に起きた事件のやうであり、Blog の記述を讀む限り本人はその事を後悔してゐるやうに思へるし、この事が發端で初音ミクブームが (つひ) えたら益々後悔する事になるだらうがそれは別に Ika 氏の責任ではない。ミーム同士の戰爭はとっくの昔から始まってゐて、今も續いてゐるし、今後も終はる氣配は全く無いからだ。初音ミクが戰死すれば我々は大いに泣き、その死を悔やむだらう。それでも戰爭は終はらない。私は彼女が生き存へる事を願ふ。

 本當は、戰爭なんか無ければ良いのになあ。多分中東の人も然う思ってゐるんだらうけれど…


 オープンソースに關はる事について

 誰に何と言はれようと何をされようと、この一線だけは絶對に譲れないのだが、私は兵士である。銃彈を散蒔 (ばらま) く代はりに、著作自由主義ミームに感染して、その結果として個人で書いたコードを無差別に散蒔く兵士だ。私だけではない。オープンソースの賛同者は皆、その意圖があらうと無からうと著作權主義ミームに對する攻撃を仕掛けてゐる事に變はりはない。著作權の正當性を否認する言論は殆どタブーのやうになってゐるから私のやうな青臭い教条主義者しかこんな事を堂々と言はないだけで、やってゐる事は皆同じ。私は自分の行爲(public domain で自作ソフトを配布)を少しも恥ぢるつもりは無いが、私は兵士であって魔法使ひではないのだから、天候を操ったり時間を止めたりする事は出來ず、ただ默って自分の仕事を、任務を遂行するのではなく自分の仕事をするしかない。

 著作權主義者は戰爭に負ければ利権を失ふ。著作自由主義者が負ければ文化を失ふ。實際には然う簡單に戰爭は終はらないのでどちらも極論ではあるにせよ、どうしても私には自分の陣營の方が不利のやうに思へるのだが、その點については天才の中の天才であり戰士の中の戰士である Bob Marley が歌った通りなのだらう。曰く、"Every man thinketh his burden is the heaviest." 「誰もが自分の荷物を最も重い物だと思ってゐる。」

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