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_ domingo, 2 julio 2006 顕正会の人に勧誘されたよ!
Cuenta Larga = 12.19.13.7.16; tzolkin = 6 Cib; haab = 9 Tzec [Trackback Ping]

前置き

典型的なアメリカ人には同意されないかも知れないが、人は理性のみで生きる事は出來ない。合理性、科學、方法論は、人の業を助ける事を出來はしても、人の心を助ける事となれば、常に出來る譯ではない。

私はオカルトが好きだ。狂氣が好きだ。偏見が好きだ。宗教が好きだ。ヒンドゥー教の事を想ふと、自分がガンジス川の畔にて神聖なガンジャの助けを借りつつ瞑想する事が出來ないのを殘念に思ふ程であるし、ケルト民族の(その生命を減じられた)妖精信仰の事を想ふと、自分が妖精達を Good Neighbors (良きお隣さん) と呼んで、窓際にミルクの入ったコップを置く事が出來ないのを殘念に思ふ程だ。最近のお氣に入りはラスタファリアニズムであって、自分がジャマイカに住む黒人でありエチオピアの皇帝ハイレ・セラシエ一世の導きによってアフリカへの歸還を願ふ事が出來ないのを、殘念に思ってゐた。

私は宗教が好きだ。カルト宗教も例外ではない。半年程前には、或る創価学会員の者から私の友人が本を押し付けられて處分に困ってゐた所を、大喜びでその本を貰ひ受けた事もある。ただ、宗教全般を愛してはゐるものの、その内の幾つかの宗教には、アンビバレント(両價的)な感情を持ってゐる。キリスト教、ユダヤ教、モルモン教、統一教会、創価学会がさうだ。これらの宗教を私は愛すると同時に憎んでゐる。憎しみの理由は言へない。

神社に魅かれる。多くの日本人は一年に一度、正月にしか神社へ行く事が無いかも知れないが、私は時々、正月でなくても、神社へ引き寄せられる。人に見られたら變に思はれないだらうか、などと理由の無い背徳感のやうなものを感じながらも、私は注連縄の卷かれた御神木を見上げて、心が踊る。

本題

今日、秋葉原の電気街口で、或るオフ會の參加者を待ってゐた。幾つかの偶然が重なった事により、集合時刻よりも40分も早くJR秋葉原驛に着いてしまった。外は雨が降ってをり、出歩く氣にもなれない。10分だけは何とか退屈せずに時間を潰せたが、殘りの30分はどうにもならなかった。退屈を紛らせてくれるものは何であれ歓迎したい氣持ちだった。

そこへ、或る者が話し掛けて來た。年の頃は30臺後半から40歳。無料で本を配ってゐると言ひ、紙袋から取り出した本には、『顕正会』の文字があった。

(この人の話を聞いてから私はオフに參加して酒をたっぷり飮んだので、細かい所までは思ひ出せません。記憶に殘ってゐる部分だけ何とか再現してみます。)



顕正会の人「最近、この國が傾いて來てゐると思ひませんか」

私「傾いてゐる? ええと、良く判らないのですが、どのやうに傾いてゐるのでせう」

顕正会の人「それはですね、例へば異常氣象、自然災害。そして凶悪犯罪が毎日のやうに起きてゐるぢゃないですか」

私「うーーん、まあそうですが、凶悪犯罪について言へば、日本は他の國に比べたらまだマシなんぢゃないですかねえ」

(顕正会の人がどう答へたか思ひ出せず)

顕正会の人「近々大地震が起こると云ふ話があるのですが、知ってますか。それも一つや二つではない。何度も起こる」

私「はいはい、知ってます知ってます」

顕正会の人「その表面的ではない、根本的な原因が、この本に書かれてゐるのです」

私「へえ、そうですか (笑みを浮かべながら)」

顕正会の人「はい。(私の表情を見て)信じられないかも知れませんが、さうなのです」

私「うーん、でも災害について言へば、それはどうしようも無い事なんぢゃないですか。どうにかする方法なんてあるんですかねえ?」

顕正会の人「それがあるんですよ。信じられないかも知れませんが、結論から言ってしまへば、その原因とは、人々が仏法に沿って生きる事をせず、御本尊に帰依しない事にあるのだと、この本に載ってゐるのです。さうしなければこの國は必ず滅ぶんですよ」

私「へえ…。そうなんですか」

顕正会の人「そうなんですよ」

(この間の會話を思ひ出せず)

顕正会の人「このやうな災害は、鎌倉時代にも起こってをり、たくさんの人々が死にました。その時に、日蓮大聖人が或る本を書きました。その本の中で、人々が仏法に生き、『南無妙法蓮華経』と唱へれば、災害は無くなり、人々が幸せになるのだと、さう書かれてゐます。その本を現代の人にも判り易くしたものが、この本なのです」

私「へえ、そうですか」

顕正会の人「はい。鎌倉時代に蒙古の襲撃があった事は知ってますか」

私「ええ、聞いた事はあります」

顕正会の人「現代においても、他國からの侵略の可能性はあるわけでせう」

私「はいはい、ありますねえ。例へば中國とか、北朝鮮…」

顕正会の人「さうでせう!このやうな事は全て、解決する方法があるのですよ、それが…(思ひ出せず)」

私「でもそれは日本人の心掛けで何とかなる問題では…ないですよねえ?」

顕正会の人「それが無いんですよね。それこそが仏法の(思ひ出せず)」

(この間の會話を思ひ出せず)

顕正会の人「日本では毎年多數の自殺者が出てゐる事を知ってますか」

私「ええ、知ってますよ」

顕正会の人「毎年何万人も死んで行ってゐる。心が荒んでゐるわけです。心が荒んでゐるから死んでしまふ。」

(この間の會話を思ひ出せず)

顕正会の人「顕正会と云ふのは聞いた事があります?」

私「ええ、聞いた事はありますよ」

顕正会の人「へえ、聞いた事がある!」

私「はい、あります。でも佛教にはあまり興味が無いので、どんなものなのかは良く知らないんですよね」

顕正会の人「そうですか。顕正会では仏法を(思ひ出せず)熱心に活動してゐて、若い人も多いんですよ。毎月1000人以上が新たに会員になってゐる」

私「えっ? えーと、年…年に1000人?」

顕正会の人「いいえ、毎月です。毎月1000人以上ですよ」

私「そうすると…年に1万人以上増えるんですか(笑みを隠せず)」

顕正会の人「はい、増えてるんですよ」

私「随分多いですねえ…」

顕正会の人「多いですよ。(思ひ出せず)」

(この間の會話を思ひ出せず)

(私は時計を背にして話してゐた。時計が氣になってをり、タイミングを見付けて一瞬だけ振り返った)

顕正会の人「もしかして待ち合はせでもしてらっしゃるのですか」

私「はい、待ち合はせをしてるんですよ」

(私はこの時點で「震災は人の意思や心掛けでどうにかなる問題ではない。震災で私が死ぬとしても、それは仕方の無い事なので、それでも構はない」と言ひ出すタイミングを計り始めたが、結局最後まで言へなかった)

顕正会の人「あー、それは濟みませんでした。それでですね、この本を…お金を取るわけではなくて、無料でお配りしてをりまして…」

(私は迷ったが、決心は付いた)

私「ええと…濟みませんが、この通り私は手ぶらでして、これから友人と出掛けるんですよ。ですから、本を持って歩くと……邪魔になってしまふのですよ。申し譯ありませんけど、他を當たって頂けないでせうか」

顕正会の人「あー…、さうですか。うーん、さうですか。殘念ですが、手ぶらでは仕方無いですね」

私「はい、濟みません。樂しいお話でした」

顕正会の人「どうも、待ち合はせの時に濟みませんでした。また機會があったら是非これを(思ひ出せず)」



ここで顕正会の人は、秋葉の人混みの中に混ざり、見えなくなった。

正直な所、本が欲しいか欲しくないかで言へば、欲しかった。もしこの人が本の代金として幾らかの金額を提示するか、さうしなくても「お氣持ちだけで良いので幾らかの寄付を」と言ってくれたなら、私は喜んで本を購入してゐただらう。だが、私がその本を欲しかった理由は、怪談を讀むのと同じやうにワクワクしながらその本を讀みたかったからであって、日蓮大聖人の教へを實践したいからでは斷じてなかった。無料で本を受け取るからには不眞面目な氣持ちは許されない、さう思ふまでに、彼の人は惡人に見えなかった。顕正会はカルト宗教である事を私は知ってをり、強引な勧誘方法『折伏』が原因で被害者の會さへ作られてゐる事を知ってはゐたが、それでも彼の信者から私が本を無料で受け取れば、それがこの信者の望む事であったとしても、私にとっては裏切りであるとしか思へなかった。だから私は本を斷わったが、斷わる事も斷わらない事も最善の撰擇ではなかった。ただマシな方を選んだだけだ。


懺悔

ここからは昔話。

高校生の頃、私は小田急町田驛付近の廣場(大時計と交番と踏切とマツモトキヨシがある所)のベンチに座って漫畫を讀んでゐた。何と云ふ偶然だらうか、その時に讀んでゐた漫畫は神さまのつくりかたである。何故家にも歸らずそんな所で漫畫を讀んでゐたのかは、今となっては思ひ出せないが、何か家に歸りたくない理由があったやうな氣がする。

一心に漫畫を讀んでゐる私の隣に、或る白人が座った。何故隣に座るのかと私は驚いたが、氣にしない事に決めた。

外人が英語で話し掛けて來た。確か最初の言葉は "Hello" だったと思ふ。仕方無いので私も "Hello" と答へた。その外人は "Nice to meat you"、"What is your name?" など、簡單な英語で私に話し掛けた。私もそれに英語で答へた。

突然その外人は日本語で、「本を讀むのは好きですか」と尋ねた。私は驚いたが、「ええ、好きですよ」みたいな事を答へたと思ふ。外人は「私も本を讀みます。でも讀むのは、聖書です」と言ひながら、鞄から聖書を取り出した。私は困ったなあと思ひながらも、敢えて立ち去りはしなかった。

外人は私に「神樣を信じますか」みたいな事を言った。私は信じると言った――勿論キリスト教の神ではないが。外人はキリスト教の話をした。神は全知全能であって、自分も死後の裁きの後で、傷一つ無い完全な身体を得るのだ、そんな事を話した。

私は高校生であり、殆ど知識が無いながらも、拙い言葉で多神教の話をした。私にとって神は唯一の存在ではなく、全知全能などではなく、全ての人間に等しく恵みを與へるわけではないとさへ言ったと思ふ。キリスト教徒の前でこんな事を言ったら相手が怒り出すかも知れないと、半ば恐れながらも、私は確かに自分の考へを述べた――拙い言葉で。

その外人は怒るどころか、私の話に興味を示した。こんな話を10分から20分くらゐは續けたと思ふ。仲間と思はしき別の外人が現れた。今まで私と話してゐた外人は、私にも判るやうに、新しく來た者に日本語で話し掛けた。「この人は神樣の事を良く考へてゐる」みたいな事を言ってゐた。外人は私に、「今日はもう行かなければならないが、また話をしたいので、あなたの電話番號を教へて貰へないだらうか」と言った。私はこんな話をその場限りで終はらせる事なく翌日以降にまで持ち越す勇氣が無かった爲、「自分は家族と住んでをり、このやうな事について家族に知られたくはないので、申し譯無いが電話番號を教へる事は出來ない」と言った。すると外人は「さう云ふ事なら仕方無い。それでは來週のこの時間に、再びここで會へないだらうか」と言った。私は斷りたかったが、斷れなかった。その約束をしてしまった。

勿論、行かなかったのだ。守るつもりの無い約束をした事などこの時くらゐのものではなからうか。だからキリスト教で言ふ所の懺悔をしなければならない。……あれからもう5、6年も経った今になって。

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