* まもなく移轉
當サイトはまもなく移轉します。
* みっくみく事件の決着
驚いた。ドワンゴが殆ど完全に折れる形で、しかもこんなに早く決着が付くとは思はなかった。こんな結末になるとは夢にも思はなかった。
* Quốc ngữ と日本語
ベトナム語は六つの聲調を持つ言語であるが、現在それを表記する爲に用ゐられてゐる Quốc ngữ ではその六声調を書き分ける事が出來るらしい。
* 自然物と信仰/生體機械としての人間/初音ミク/オープンソース戰爭
みっくみくが JASRAC された件には非常にもやもやとさせられる。だから出來るだけ消化しようと試みた。Every man thinketh his burden is the heaviest.
* HsHyperEstraier 0.1
HyperEstraier の Haskell 用バインディングである HsHyperEstraier を公開した。
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viernes, 9 febrero 2007
Cuenta Larga = 12.19.14.0.18; tzolkin = 7 Etznab; haab = 11 Pax
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田口ランディさんのブログにコメント欄が無いのを發見して、なぜ私がこれまでずっと『ブログへのコメント』と云ふものに漠然とした不自然さを感じてゐたのか判った氣がする。
私は自分の日記(それとも RSS と TB があるからブログ?)で特定の人間に向かって話をする事は滅多に無くて、殆どいつも不特定の人間に向けて書いてゐる。私だけでなく普通さうだらう。そこへ偶然訪れた特定の人がその記事のすぐ下にコメントを書くと、ブログを書いた側は nobody に向かって話してゐるのにコメントを書いた側は個人として相手に話す事になってしまふ。ここに捻れがある。コメントを付ける時の名前欄に「通りすがり」と記入するかどうかとは關係ない。名を伏せようとどうしようと個人がネットに於ける nobody を代表する事は出來ない。
この捻れを柔らげるには、ブログを書く側とコメントを付ける側の距離をもう少し離してやれば良いのではないか。個人も距離を置けば nobody に取り込まれ、nobody の一部になる。私がこの日記システム、libroverde.cgi を書いた時に、コメント欄は意圖的に外したのに TB は實裝した理由はさう云ふ事だったのだらうと思ふ。TB は他人の領域から響いて來る
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