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_ viernes, 13 julio 2007 非オタグループとの一年間と破綻、そして見た夢
Cuenta Larga = 12.19.14.8.12; tzolkin = 5 Eb; haab = 0 Xul [Trackback Ping]

 一年か一年半くらゐ所屬してゐた友人グループがあった。私の友人關係は殆ど 100% オタクなのだが、彼等はオタクではなかった。彼等と知り合った切っ掛けは、私がオタクでない人間とも話をしてみたいと思って、或る IRC のチャンネルに行ったからだ。

 グループの中で、常に二人が喧嘩してゐた。それを M と R とする。どちらの年齢も私と同じくらゐで、それ以外の全員は少なくとも三十歳を越えてゐた。M は年齢の割には非常に幼く、他人の立場や考へを推し量る事が全く出來ない人間だった。そして、極度の負けず嫌ひだった。R の言葉遣ひは極めて亂暴だし、IRC でも誤字脱字、單語の遣ひ方の間違ひだらけだったが、しかし姐御肌だった。グループの中で R がリーダーだった。私は R とはとても氣が合った。

 M は學生、R はニートレーダーである。二人はいつもネットで麻雀をしてゐたのだが、二人の實力に差があり過ぎて勝負にならなかったらしい。勝つのは常に R だった。M は病的に負けず嫌ひなので、負ける度に R を言葉の限り罵倒した。いつからか M は R がインチキをしてゐると信じ込むやうになった。いや、本當はインチキでない事は解ってゐたのかも知れない。その次には M は R に「わざと負けろ」と迫り、R が實際にさうすると、M は「俺は本當は強いのに、システムが恣意的に R を勝たせてゐるのだ」と主張するやうになった。システムが R を勝たせる理由を探る試みは何週間にも渡り、M はあらゆる事を試してゐた。私は何度も何度も「そんな事は考へられない。何故なら――」と説得しようとしたのだが、M は全く聞き入れず、本氣でシステムによる操作を信じてゐるやうだった。その樣は統合失調症を思はせた。R は R で、持ち前の口の惡さを遺憾無く發揮し、M に對しての反撃は熾烈を極めた。

 R はそのやうな M に人間として成長して慾しかったらしい。ゲームで負けたからといふ理由で、相手に罵詈雑言を浴びせたり、証拠も無く相手の不正を主張するやうな人間を、姐御肌の R はそのまま放って置く事が出來なかったのだらう。そこが私と餘りにも違ふ所だ。私は R に再三「もう諦めなよ。R は充分やるべき事をやった。諦めたって誰も非難しない」と言ったのだが、R はその度に「そうだね…」と言ふのだが、R は決して M を諦めてくれなかった。R が強引に M を麻雀に誘ふ。R が勝つ。M が癇癪を起こして R を罵倒する。R が反撃する。毎日がその繰り返しだった。

 毎日毎日朝から晩まで續く不毛な喧嘩。半年もすると私は完全にウンザリしてしまった。二人の当事者のどちらもが、私が何を言っても聞く耳を持たなかったからだ。いや、R は聞くだけ聞いてくれたが、それだけだった。ある日とうとう私は腹が立って、M を力一杯、口汚く罵倒した。それまで M に文句を言った事など一度も無かったし、丁寧な言葉遣ひを心掛けてゐたのだ。すると M は普段の元氣の良さとは打って變はって、何も言はず、ただ默ってゐた。何て事だ、こいつは喧嘩さへしてくれないのか、と思って、私は落胆した。もう潮時だと思った。

 潮時だと思ひつつも、だらだらとそれからも關係を續けてゐたのだが、その間状況は少しも改善を見せなかった。M は私につまらない人格攻撃をするやうになった。喧嘩してくれないのに人格攻撃はするのかと、私は本當にガックリ來た。「そんなつまらない事はやめろ」と言っても聞かなかった。私は離脱する事に決めた。寂しい撰擇だが、もう心勞が限界だった。R に離脱する意向を打ち明けると、R は私を引き止めた。仕方無く離脱を延期する事にしたのだが、昨晩、いよいよもう駄目だと思ひ、R にその事を話した。私は限界だと言ふと、R は殘念がったが、もう引き止めなかった。M は默ってゐた。R は、あのグループは一旦解散すると言った。

 R ほか數名には解散しては困る理由があったし、特に R には誰かが抜けては困る理由があったのだ。結局私はその事を最後には尊重できなかった。冷たい人間だと自分でも思ふ。

 R との話が終はったのは 22:30 頃。普段は 2 時頃に寝るのだが、こんな時はさっさと寝てしまふに限る。だからそのまま寝た。予想通り、長くて奇妙な夢を見た。

 - - - - -

 父の運転する車で母の實家へ。私は助手席でシートベルトもせずに、脚を伸ばして座ってゐる。片方の脚を伸ばして、もう片方は曲げた状態。4の字を上下逆にした感じ。ところが父の運転が餘りにも荒く、今にも事故を起こしさうなので、私は怖くなってきちんと座り直してシートベルトを掛けた。

 一旦目が覺めた。まだ起きる時間より 30 分以上早かったので、もう一度寝た。

 學校。體育館で授業を受けてゐる。その授業といふのも、ライフルの取扱ひだ。夢のこの部分は完全にゲームになってをり、ここでのルールは『床を轉がって移動してゐる間は撃たれても當たらない』といふものだった。

 授業が始まる前には、全員が整列して座ってゐた。その時私の隣には中學時代の友人二人がゐた。なほ片方とは 7、8 年前に喧嘩別れしてをり、もう片方とは現在疎遠になりつつある。前者を I とし、後者を S とする。二人とも私の夢に度々登場する人物である。

 授業はいつの間にか至近距離でのライフルの撃ち合ひになってをり、『轉がってゐれば無敵』のやうなルールも無くなってゐる。ゲームではなくなってゐる。いつの間にか私には仲間が居て、ペアで行動する事になってゐた。それを X とする。突然 X が I を射殺した。殺した事は誰にもバレない、さういふ事になってゐた。私は何故かさうしなければならないと思って、S の頭を撃った。亂闘の中で二人が死んだ事にはまだ誰も氣付いてゐなかったのだが、授業が終はってライフルをケースにしまふ時、最初に座ってゐた位置に三人分のケースが置いたままになってをり、私は自分のケースだけを取ってその場を後にした。周圍の視線が痛い。殺した事を感付かれてゐるやうだった。「いつも三人一緒だったのに何故」と訊かれてゐるやうだった。

 場面が變はって、校舎の中にゐる。廊下の端にある掲示板に、伺かのオンリーイベントのポスターが貼ってあった。そのポスターの左上には、まるで Wiki のサイドバーのやうにベースウェアの名前が列擧されてゐたのだが、どういふわけか一番上に『僞林檎』と書いてある。こんなのはをかしい、と思ふ。何故一番上なのか理解出來なかった。すると見ず知らずの人間が私に話し掛けて來て、ポスターを指して笑ひながら「これっていいのかねえ?」と言ふ。私は何の事だか判らなかったのだが、その下に貼ってあった別のポスターを見て納得した。そのポスターは別のイベントのポスターであり、伺かの方はそのポスターのパロディになってゐたのだ。私は「いいんぢゃないですか」と答へる。

 場面變はる。私は自分の教室を探してゐるのだが、一向に見付からない。すると突然に、自分の今居る場所は創價中學校の四階(中學三年生の教室のある階)であり、自分は高校三年であった事に氣付く。現實の私は勿論學會員になった事も無ければ高校生でもない。創價高校へ行かなくてはと思ひ、階段を降りるのだが、玄関に私の靴が無い。學校の外壁には公明党のポスターが何枚も貼ってあった。靴は四階に置いてきてしまったらしいので、取りに戻る。

 一階は他の階とは樣子が全く違ってゐた。木の床に木の壁、木の天井。開放的な空間になってゐた。掃除のおばさんが椅子に座って、何言かを呟いてゐた。階段を昇って四階へ。

 靴を取って一階に降りてきた。さっきの掃除のおばさんは「水虫を踏んじゃった!」と叫んでゐる。それを踏むと足が水虫になるらしい。夢の設定では私は學會員だったはずなのに、ここでは「創價ババアめ、ざまあ見ろ」と思ってゐる。

 場面變はる。靴を履いて歸宅する途中。いつの間にかさっきの X が隣に居る。街並みも自宅も實在するものではないが、どこに自宅があってどうやって歸れば良いのかは當然のやうに解ってゐる。この街は以前別の夢で見た氣がする。X が私に「○○(私の名前)の家ってどこ?」と尋ねる。私は歩きながら、何故か自宅の場所を X に知られたくないと思ってをり、「こっち。でも家まで付いて來ないでよ」と答へる。二人で歩いてゐると、X が突然道の途中で立ち止まり、「じゃあ」と言ひながらそこにあった家に入って行った。そこが X の家だったらしい。一方的に家を知る事になってしまひ、X に申し譯無いといふ氣分になる。X の家は道路に對してガラス張りになってをり、カーテンも無くて、中の樣子が丸見えだった。

 突然、さっき創價中學校へ行ったのは道を間違へた所爲であり、本當はあの時點で既に家に歸るつもりだった事を思ひ出した。十字路があるのだが、そこで家に歸るには直進しなければならない所を左に曲がってしまったのが原因だった。今度は同じ十字路を直進し、暫くして家に着いた。家の外で父と母が何か作業をしてゐた。

 家族には正午に歸宅すると言ってあったのだが、既に三時間ほど遲れてゐた。私に氣付いて母が「もう昼御飯食べた?」と訊く。私は「まだ食べてない」と答へるのだが、その時私は口の中で餅のやうなものを噛んでゐる最中で、その餅が異樣に硬くて噛み切れなかった。母に「まだ食べてない」と答へた直後、やうやく餅を食べ終へた。父が風呂に入れと言ふので、さうする事にした。

 起床。

 - - - - -

 起きてゐる間、我々はイメージよりも言語に頼って思考する。夢を見てゐる時は、言語よりもイメージに頼って思考する。夢の文法は單純だ。はっきりと文法であると言へるやうなものは、精々二つか三つしか無い。

 その一つは、在不在交代といふ。或る物や或る人が唐突に消えて、直後に別の物や別の人が現れた場合、原則的にその二つのものは同じ事柄を指す。

 もう一つは、反復構造といふ。或る場面、或る人、或る物が登場してストーリーが展開した後、それとは別の話として別の場面、別の人、別の物が登場したとする。その時、實は最初のストーリーと同じテーマが繰り返されてゐる場合があって、もしそのやうな類似性が認められるならば、二つの登場物の集合の各々には原則的に對應關係が存在する。

 それから、意味の重ね合はせと云ふものがある。例へば夢で『靴を履いて外に出る』と云ふ場面があるとする。この時、靴がスニーカーであったか革靴であったか、その色はどうであったか、さういふ事を憶えてゐなかったり、場面場面で一定してゐない場合。そのやうな場合は靴の色や形状に特に意味が無かったか、或いはそれが重大極まりない事であるゆゑに目醒めてゐる時の意識が耐へられないか、そのどちらかである。その逆に、『オレンジ色のスニーカーをずっと履いてゐた』といふやうな事を憶えてゐるならば、そのオレンジ色のスニーカーといふ付加情報が『靴を履いて外に出る』といふ行動の表す意味と重ね合はされてゐるので、無視すべきでないヒントであると言ふ事が出來る。

 このやうに文法は單純なのだが、單語は非常に複雜である。現實に存在するものであれしないものであれ、實在する人物であれしない人物であれ、全ての事柄が夢の單語となり得る。個々の單語の意味は、特定の文化集團で共通したり、より廣く総ての人類で共通するやうなものも無いわけではないが(例へば、水 = 生と死、無意識)、基本的には個々人のそれまでの體驗やその時の氣持ちによって、單語の意味は大きく變化し得る。だから夢辭典を見て單語を一つ一つ飜訳して並べるのは、非常に良くある間違ひである。他人の夢を分析するのが難しい理由は此處にある。

 以上を蹈まへて、この夢の解釋を試みる。

 (暴走する父の車) ここから始まる夢はトラブルについての夢である、との前置きか。そのトラブルの豫感の半分は状況の所爲であるが、もう半分は私自身の所爲である(シートベルト不着用)。私は父に暴走をやめさせる代はりに、自分が姿勢を正して被害を最小限にしようとした。脱退の事を言ってゐるのか。

 (體育館での撃ち合ひ) この場面だけゲーム的になってゐるのは、殺し合ひのエグさを拭ふ爲である。だからその事については無視。私の仲間 X がI を撃ったので、私が S を撃った。X は夢でも現實でも見知らぬ者であり、この場面で唐突に出現する。その X が昔喧嘩別れした I を殺したのであるから、『今囘私のやった事は喧嘩別れではない。さうではなく、敵對してゐない相手に對して一方的に別れを告げたのだ』といふ意味になるものと考へれば、事實と合致する。ライフルのケースを取りに戻った時の周圍の視線は、あのグループに殘してきた、あの場に居なかった他の全員に對して、私が感じてゐる負ひ目について言ってゐるのだと思ふ。それだけではなく、現實に I と喧嘩した時に周圍を少なからず卷き込んでしまった爲、周圍に對して私は負ひ目を持ってゐた。今でもさうかも知れない。

 ここで X が果たした役割は、過去の私である。だから、今後の X もそれを表現してゐると見て良いだらう。

 (創価中學校) オタクの友人しかをらず、自らも疑ひ無くオタクである私にとって、非オタクのみが集ふグループは『他所』だった。それを創價學會に喩へるのは幾ら何でも極端過ぎるのだが、さういふ喩へだったとしか考へられない。學校が教育の場である事を考へれば、それは R の M に對して取り續けた行動にも合致する。

 伺かのポスターについては全くの謎だ。僞林檎の名が妙に強調されてゐた事、企業の何かのイベントのポスターのパロディになってゐて、全然同人即賣會のポスターのやうには見えなかった事、まるで意味が分からない。夢を見てゐて急に氣が散ったか?パロディーのポスターは僞林檎の伺かに對する立場の類推か?

 教室が見付からない事は、その場に私の居場所が無かった、間違った場所に來てゐた、といふ意味になってしまふ。それも、これは夢の話なので臆面も無く書いてしまふけれども、自分は高校生なのに中學校に居場所があるものだと思ってゐた、といふ意味になってしまふ。殘念な話だ。

 掃除のおばさんの居た一階の、木製の部屋は何だらう。あれは「この場面で起きた事は、周圍の状況についての話(二階以上の普通の校舎)ではなく、私自身の氣持ちと行動についての話である」といふ意味だらうか。だから私自身の象徴としての掃除おばさんが居たのだらうか。さうだとすると、一階に靴が無くて、校舎である四階に取りに行かなければならなかった事にも頷ける。實際、私は一度グループから逃げたのだ。R に何も話さずに。その事が氣になって一度戻り、今度は R と話して R を納得させてから抜けたのである。その事實とピッタリと一致する。

 掃除のおばさんは、一度目に會った時には立場に反して椅子に座ってをり、二度目では叫んで――トラブルに遭ってゐた。これは現實の私の取った行動と見事に一致してゐる。ここでの掃除は人間關係のトラブルの解決の象徴である。靴が無くて出て行けない、それは脱退への私の決心が足りなかった事を言ってゐる。靴が無くて取りに戻った私は、座って、何もしない、掃除のおばさんに會ふ。事實私は何もしなかったやうなものだ。次に會った時に、おばさんは「水虫を踏んだ」と叫んでゐた。これは私が M に向かって叫んだ事を再現してゐる。しかも夢での私はその時に、それまで自分が學會員である事に何ら疑問を持ってゐなかったのに、突然「創價ババアめ」と毒づいたのだ。私自身のグループへの態度が急變したのも丁度そのタイミングである。そして私は靴を履いて、創價中學校を後にした。ここで靴とは「外に出るのに必要な意思」みたいなものだ。

 このシーンのみ X が登場しない事が氣になる。在不在交代の原則から言へば、このシーンで唐突に登場して、次のシーンでは X の姿に戻ったものがあるはずだ。候補: 學校、創價學會、ポスター、掃除のおばさん、木。前のシーンで X は昔の私といふ事だったので、さうなると、伺かのポスターすなはち僞林檎?まあ、書いたのは確かに昔だ。それ以外にはちょっと當て嵌まりさうにない。

 (歸宅) X に家の位置を尋ねられるのだが、私は彼に「付いてくるな」と言った。多分 X はあのグループに居た時の私であり、それに對して今の私が自分の住處を知られたくない、付いてきて慾しくないと言ったのである。途中で X が立ち止まり、私が一方的に X の住處やその内部の樣子を知る事になったのも、さう考へれば當然だ。現在の自分こそが過去の自分を一方的に知ってゐるからである。

 ここで唐突に「間違へて道を左に曲がったせいで創價中學校に着いてしまった、本當は家に歸るはずだったのだ」と思ひ出した事も象徴的だ。と言ふのもどう云ふ譯か、夢では左と云ふ方向は誤りとか失敗を意味する事が多く、つまりここでも「私は間違った場所へ行ってしまったのだ」と云ふ主題が繰り返された事になるからだ。

 X と別れた後に、突然私は噛み切れない餅を苦勞して食べてゐる。在不在交代の原則から、この餅は X が姿を變へたものであると言へる。母が訊いたのは「もうその事件を消化したか。吸収して自分のものに出來たか」といふ意味だと思はれる。その時私は「まだだ」と答へたのだが、直後、餅を呑み込む事に成功する。

 次の場面は、昼間だし昼食も摂ってないのに風呂に入れと言ふ父と、それに何ら疑問を持たずに風呂に入るつもりでゐる私。風呂に入るといふ事は、つまり水に入るといふ事だ。水といへば生命力の象徴であるし、『水に入って、そして出る』といふ行爲は、何らかの意味での生まれ變はりを意味する事が多い。今囘のケースで生まれ變はりと言ったら大袈裟過ぎるのだが、まあ夢といふのは大袈裟なのが普通だ。さっきは非オタグループがなんと創價に喩へられてゐたではないか。要するに父は「事件の消化よりも生命力の回復を優先しろ」と言ったのであり、私はそれに從はうとしたといふ譯だ。

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