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_ domingo, 15 julio 2007 海、祭りの夢、櫓
Cuenta Larga = 12.19.14.8.14; tzolkin = 7 Ix; haab = 2 Xul [Trackback Ping]

 海に居る。時刻は昼。現實とは異なり、ここが自分の家の近所といふ事になってゐる。黒い筒に砂を詰めてゐるのだが、その筒の底は網状になってをり、乾燥した細かい砂が穴から落ちてしまふ。そこで何か良い方法は無いかと思ひ、邊りを見回すと、海の生物の死骸のやうなものが落ちてゐた。それを筒に詰めてから隙間に砂を詰めれば目的を達せられるだらうと考へて、氣味の惡さを我慢して實行。するとどうやら死骸だと思ってゐた生物は生きてゐたやうであり、ぐにゃぐにゃと動き出した。「これは筒から出してやらなきゃいけない」と思って出してやると、その生物は小さな蛸だったらしい。

 場面變はる。夜。新宿に用事がある事になってをり、そこで私と女性 A が待ち合はせしてゐた。A は現實に存在しない。夢の中の私と A は互ひに (しき) りに身體的に接觸しようとする。年齢は同じくらゐ。

 待ち合はせの場所と時間で A と會ったのだが、突然 A は「ここ渋谷ぢゃない!?」と言ひ出す。A に言はれて私も周圍を見回すと、確かにそこは渋谷だった。どういふ譯か、私も A も揃って新宿のつもりで渋谷に來てしまったやうだった。

 渋谷から新宿まで走って移動する事になる。途中、長くて急な下り坂があり、二人で何故か腕を組んで駈け降りた。勢ひが付き過ぎて轉びさうになり、私は「危ない!」と思ふ。

 新宿へ向かふ筈だったのに、いつの間にか私の地元へ行く事になってゐた。地元ではもうすぐ祭りが始まる事になってゐた。二人で走ってゐるのだが、私の體力が先に尽きて、A がどんどん先に行ってしまふ。途中、歩道に三つの鳥居がある。鳥居を潛るルートと、その脇を通るルートの二つが存在する。半被 (はっぴ) を着たおじさんが歩いてゐて、私を見て嬉しさうに聲を掛けて來た。何と言ってゐたのかは思ひ出せない。私は最初の鳥居を潛るのだが、A がもう一つのルートを通るので、私も連られてそちらを通る。「こんな所に鳥居なんてあったかなあ」と思ふ。

 地元に着いた。いつの間にか時刻は日中だった。現實には存在しない小さな小屋があり、そこで色々な種類の飴が賣られてゐる。A と二人で中に入る。小屋には飴だけではなく、何臺ものガシャポンの機械があり、そして何故かエロゲーのポスターが壁に何枚も貼られてゐた。

 祭り會場へ。地元なのに見た事も無い場所が會場になってゐる。現實に存在しない場所が夢に出て來てそれを不思議に思はないといふ事は良くあるのだが、ここでは夢の中でも不思議に思ってゐる。なんと、山一つが會場だった。その山の下に、洞窟のやうでもトンネルのやうでもある場所がある。洞窟の中を小川が横切ってをり、その小川を越えた先に階段があり、その階段を昇ると祭り會場である。洞窟の天井は非常に高く、小川の前に大鳥居が (そび) える。既に邊りはとても混雜してゐた。作法などを私は知らなかったので、そのまま鳥居を潛らうとしたら、周りの人に「さうぢゃないよ。まづ御辭儀をしてから通るんだよ」と怒られる。大鳥居を潜って小川を越える前に二禮二拍手一禮をする事になってゐるらしいので、さうしてゐると、突然眩暈がして意識が遠くなった。地面に倒れる前に誰かが支へてくれたやうだったが、その時には既に視覺を失ってゐた。

 氣が付くと私は鳥居と小川を越えて立ってゐた。A が居なくなってゐた。私は階段を昇る。階段の両側には小さい (やしろ) が幾つも幾つも並ぶ。時刻は夕刻だった。

 唐突に、實家がビール工場であった事を思ひ出した(現實とは異なる)。私は町會の發行物に、實家の營業にとってマイナスになりかねない事を不用意に書いてしまった事になってをり、その事を母に怒られる。――このエピソードはストーリーの他の部分との關聯性が薄く、本當にこの通りの順序で插入されたエピソードだったのかどうかは、今では自信が無い。

 祭りの始まり。これほどまでに大掛かりな祭りが町で準備されてゐたといふのに、知らなかったとは言へ地元住民の私が何ら手傳ひをしなかった事について、申し譯無く思った。物凄い人數が集まってゐる。花火が打ち上げられた。

 場面變はる。いつの間にか日中に。大鳥居で A と (はぐ) れた事をそれまで氣にしてゐなかったのだが、A の不在が急に寂しくなる。A を探し始めるのだが、大變な混雜具合であるため、どうしても見付けられない。

 會場は、山は山でも石灰のやうな山であり、木が殆ど生えてゐない。全體的に白っぽい。

 半被 (はっぴ) を着たおじさん達が、五、六人。祭り會場である山の細い道といふ道を、掛け声を掛けながら練り歩く。そのおじさん達の後に群集が續き、全體として蛇のやうになってゐる。小道を歩き、橋を渡り、坂を登り、下る。これは土地を清める爲の儀式であるらしかった。最初は多數の群集が後に續いてゐたのだが、殆ど走りながら山を登ったり下ったりしてゐるので、體力が保たない者が多かった。人數が少しずつ減って行き、最後には私の他に數名となってゐた。その私も既に限界だった。なんであのおじさん達はここまで元氣なんだらうと思った。誰も疲弊してゐる樣子が見られなかったのである。

 山頂に近い所に崖がある。その崖の上に縦横 5m x 5m ほどの臺が作られてゐるのだが、その臺は竹で組まれてをり、畳が敷かれてゐた。竹で組まれた臺へ續く道もまた竹で組まれた通路になってゐるのだが、その通路を跨って鳥居が立ってゐた。ここでは翌日に茶道に關するイベントが行はれるらしい。

 場面變はる。夜になった。A と一緒に、祭り會場から僅かに離れてゐる筈の氏神樣にお參りしたいと思った。近所にこれだけ知らない場所が出來てゐたのだから、神社の樣子も變はってゐるかも知れないと氣付いたからだ。でも A が見付からない。A の不在を寂しく思ふ。

 場面變はる。時刻は夕暮れ直後。場所も全く違ふ場所。山の中に地上から數百メートルもの高い (やぐら) が組まれてゐる。落下すれば死を免れない。櫓は二つあり、片方には私の家があり、もう片方には自販機が置いてある。その二つの櫓はロープを編んで作った橋で結ばれてゐるのだが、ロープが老朽化して一部切れてゐる場所があった爲、父と二人で橋を掛け直す事になった。その自販機にアクセス出來る事が、どうしても祭りの準備に必要らしい。――このシーンはどうも祭りが始まる前で、私は祭りの準備をしてゐるやうだった。

 目が覺める。

 - - - - -

 こんな夢を解釋するのは、私の力量では無理だ。始めから終はりまでサッパリ解らない。

 (海と筒と蛸) 海といふものは、まあ大抵は無意識の象徴だ。でもこのシーンで海そのものは大して重要ではなく、私は海に入ってさへ居ないのであるから、まあ砂と蛸を登場させる爲の背景と見て良いだらう。

 穴の空いた黒い金属製の筒に砂を詰めるといふ作業。いかにも無意味だし、無理な相談だ。しかしその目的を達成する爲に、海の生物の死骸を使ふ事を思ひ付くのだが、死骸だと思ってゐた生物は實は生きてゐた。簡略化すると――無意味な作業を完了させる爲に、死んだと思はれてゐた何かを使ったのだが、それは生きてゐた――これは現實の何かと對應してゐるのだらうけれど、判らない。判りたくもない氣がするので、これ以上考へない事にしよう。

 (新宿と渋谷) ここで登場する女性 A は、實在しない人物である。その正體は幾ら考へても判らなかった。夢の中で私はこの人物と道端で抱き合ったりしたのだが、私は現實でそんな事をした事は無い。

 二人で場所を間違へたのも重要な點と思はれるが、意味が解らない。間違へたから走って移動しようと云ふ發想も、譯が解らない。電車で移れば良くないか?この時點ではまだ私の體力が保たれてゐる。

 (祭り會場へ續く道) 歩道に跨がる三つの鳥居。この後のシーンで A と逸れてしまふのだが、既にこの時點で A が鳥居を避けてゐる點は、注目に價する。鳥居といふものは、非日常、無意識、聖域へ續く門だ。A と會った場所が渋谷のやうな、日常的な場所であった事もヒントになるだらう。日常性を象徴してゐるかのやうな A は、私は一緒にさうして慾しいと思ってゐたのだが、鳥居を潜る事が出來なかった。A は三つの鳥居を避けたが、私は最初の一つを潜った。恐らくこれが、後に A と逸れた原因になったのだと思ふ。(そして理由は判らないが、今この文を書いてゐて泣きたい氣分になった。)

 (飴を賣る小屋) この小屋も祭りの一環として建てられたらしい。多種多樣な飴を賣る店。飴とは何か。ガシャポンとエロゲーは何か。全く解らない。この小屋は祭りの一部であるのにまだ A が一緒に居る點はヒントになると思はれる。

 (祭り會場へ續くトンネル) 洞窟、道を横切る小川、そして鳥居。無意識の世界へ續く道として、これ以上相應しい場面設定も無いだらう。無意識どころか、あの世に續いてゐてもをかしくないやうな道だ。鳥居の前で禮をする私が意識を失った事も象徴的で、要するにそれは目が覺めたままでは潛れない門であったのだ。門を潜って目が覺めると、A が居なくなってゐた。

 (ビール工場) この脈略無く插入されたやうなシーンは一體何?何を手掛りにすればこのシーンの意味が解るのだらうか。まあ夢ではさういふ事も (たま) にはある。ひょっとして空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の事を突然思ひ出して、氣が逸れたとか?

 (祭りの始まり、花火) 破壊的な衝動の高まり?今までさうした夢は何度も何度も見たが、いつもそれは、料理を盛った皿を床に叩き付けるやうな、大變に後味の惡い夢だった。それが今度は花火で表されたのだとすれば、大きな進歩だ。

 (A の不在) ここで急に A の不在が寂しくなる。門を潛り、祭りが始まり、花火が打ち上げられ、一息吐いた所だった。非日常の世界に居ると、孤獨になってしまふと云ふ意味か。もし本氣で A を探さうと思ったら、恐らく祭り會場から出なければならなかった筈だ。實際にはさうしなかったのであるから、私は A よりも祭りの方を優先した事になる。

 (半被のおじさん) 山の隅々まで歩き回るおじさん達と、その後に續く群集。通った場所が清められる點でも、どれだけ走り回っても疲れた樣子を見せない點でも、あのおじさん達は神樣だったのではないか。

 (崖の上の臺) 最後の意味不明な櫓のシーンと繋がってゐる。これは恐怖についての話か?でもその割には、竹で出來てゐたり、畳が敷かれてゐたり、そこで茶を飲む豫定があったり、通路に鳥居があったりして、どうにも恐れを感じさせない。

 (夜、氏神樣) A と一緒に神社の樣子を見に行きたかったのに、やはり A が居ない。その事實は A のこれまでの行動と一貫してゐる。

 (二つの櫓) 何だこのシーンは。場面設定も滅茶苦茶だし、それまでのシーンと時間的に前後してゐるし、おまけに私は祭りの準備に加はれなかった事を殘念に思ってゐた筈だぞ。

 劣化した橋を掛け直す試み。その向かふには何故か自販機があるのだが、その自販機は祭りの準備に必要だと云ふ。だから理由はともかくここで自販機は祭り、非日常、無意識の象徴になってをり、そこへ掛かった吊り橋は劣化して、掛け直す必要がある譯だ。

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