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* まもなく移轉
當サイトはまもなく移轉します。

* みっくみく事件の決着
驚いた。ドワンゴが殆ど完全に折れる形で、しかもこんなに早く決着が付くとは思はなかった。こんな結末になるとは夢にも思はなかった。

* Quốc ngữ と日本語
ベトナム語は六つの聲調を持つ言語であるが、現在それを表記する爲に用ゐられてゐる Quốc ngữ ではその六声調を書き分ける事が出來るらしい。

* 自然物と信仰/生體機械としての人間/初音ミク/オープンソース戰爭
みっくみくが JASRAC された件には非常にもやもやとさせられる。だから出來るだけ消化しようと試みた。Every man thinketh his burden is the heaviest.

* HsHyperEstraier 0.1
HyperEstraier の Haskell 用バインディングである HsHyperEstraier を公開した。

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_ lunes, 8 abril 2008 まもなく移轉
Cuenta Larga = 12.19.15.4.2; tzolkin = 2 Ik; haab = 5 Pop [Trackback Ping]

http://cielonegro.org/

當サイトはまもなく移轉します。旧コンテンツは基本的に殘すか移すかするので、公開を停止する物は(私が忘れなければ)無いはずです。
システムはもう出來上がってゐるので、後は中身だ。

_ domingo, 6 enero 2008
Cuenta Larga = 12.19.14.17.9; tzolkin = 13 Muluc; haab = 17 Kankin [Trackback Ping]

 PlayerPRO - the ultimate SoundTracker

 PlayerPRO が sf.net に入ったやうです。目出度い。

_ martes, 25 diciembre 2007 みっくみく事件の決着
Cuenta Larga = 12.19.14.16.17; tzolkin = 1 Caban; haab = 5 Kankin [Trackback Ping]

 http://blog.crypton.co.jp/mp/2007/12/post_63.html
 http://blog.nicovideo.jp/niconews/2007/12/000756.html

 驚いた。ドワンゴが殆ど完全に折れる形で、しかもこんなに早く決着が付くとは思はなかった。こんな結末になるとは夢にも思はなかった。

 ドワンゴの得たもの
・「みっくみく」一曲の配信から得られる利益の一部

 ドワンゴの失ったもの
・有象無象からの信用
・これから手にする筈だった初音ミク利權

 ニワンゴの得たもの
・無し

 ニワンゴの失ったもの
・ニコ動プレミアムユーザーと動畫の一部。とばっちり。

 クリプトンの得たもの
・有象無象からの信用

 クリプトンの失ったもの
・多分無し

 JASRAC の得たもの
・「みっくみく」一曲の配信から得られる利益の一部

 JASRAC の失ったもの
・無し。これ以上失へる信用は無い。

 ミクの得たもの
・知名度
・愛

 ミクの失ったもの
・「みっくみく」一曲の自由
・騒動に嫌氣が差した潜在的ユーザー

_ lunes, 24 diciembre 2007 Quốc ngữ と日本語
Cuenta Larga = 12.19.14.16.16; tzolkin = 13 Cib; haab = 4 Kankin [Trackback Ping]

 ベトナム語は六つの聲調(聲の高さによって意味が變はる事)を持つ言語であるが、現在それを表記する爲に用ゐられてゐる Quốc ngữ (クォック・グー) ではその六聲調を書き分ける事が出來るらしい。また、アクセントの無いフランス語、ほぼ例外無く語頭に強アクセントが置かれるドイツ語やフィンランド語、強アクセントの位置が規則的に決まってをり例外はアキュート記号で示すスペイン語などは、文字として書かれた通りに正確に發音する事が出來る。しかし日本語は高低アクセントを持ちながら、平假名、片假名、ローマ字のいづれも高低アクセントを示す事が出來ない(だから漢字が必要)。

 平假名や片假名に濁點と半濁點以外の記号を付ける事は今更出來ないが、ローマ字ならば付けられるのではないか。高から低への移行にグレーヴ、低から高への移行にアキュートを付け、變化が無ければ何も付けないと云ふ規則はどうか。例へばこんな風に。

 Bétonamu-go ha múttsu no sēchō wo mótsù géngò de árùga, génzaì soré wo hyóùki suru tamé ni mochíirarèteiru kuwókku gū dehà sonó rokú sēchō wo kakíwakerù kóto gà dekírù ráshī.

 めんどくさいだけだね。どうせ誰も日本語をローマ字なんかで書かないし。

_ miércoles, 19 diciembre 2007 自然物と信仰/生體機械としての人間/初音ミク/オープンソース戰爭
Cuenta Larga = 12.19.14.16.11; tzolkin = 8 Chuen; haab = 19 Mac [Trackback Ping]

 自然物と信仰の區別

 一般に、或る物事 X が元から存在した自然物もしくは概念であるのか、それとも人間の頭の中にだけ存在する人間の考へた概念であるのかを判別するのは簡單だ。その X が、猫にとって――猫が嫌ひなら犬でも他の動物でも植物でも良いが――意味を持つかどうかを考へるだけで良い。土や水や木は猫にとって意味を持つ。だから自然物だ。雨や雪、昼と夜、風、これらは現象であって物ではないが自然物と見做して良い。肉体的な性別(セックス (sex) )は、少なくとも鳥類や哺乳類にとっては意味を持つから自然物。精神的な性別(ジェンダー (gender) )は――本當の處は猫に尋ねなければ判らないが、まあ、多分意味を持たないだらう。では國家はどうか。猫は國家を知らず、人間のみが國家を持つ。猫は安全と危險の違ひを知ってゐる。平和は知らない。人種、出自。人權、債權、所有權。これらはいづれも猫にとって意味を爲さず、人間達の中で少なくない割合を占める人々が、それが存在すると思ひ込み信仰してゐる爲に、人間社会の中に限って存在してゐる。著作權も同じだ。著作權は、それを信ずる人々の信仰によって、その存在が支へられてゐる。それが信じられてゐる範圍から一歩でも外に出れば、もうそこには存在しない幻想だ(→ 知的所有権は「ばかには見えない服」)。國家や人權が幻想であると言ひ放つには餘りにも多くの血が流れ過ぎてゐるが、暴論は承知で敢えて然う言はせて頂きたい。

 信仰するのが惡いと言ってゐるのではない。私も例へば(變な誤解をされると嫌なので滅多に口に出さないやうにしてゐる事だが)この日本の土地の色々な所に神々が御座 ( おは) します事を無意識のレベルで信じてゐる。ただ、信仰と自然物を混同するのは良くない。倫理的に良くないと言ひたいのではなく、それをすると (ろく) な事が無いから良くないのだと言ひたい。


 ミーム (meme) を實行するハードウェアとしての人間

 人間と信仰の關係は――ここからは信仰ではなくもっと正確にミームと呼ぶが――人間とミームの關係はハードウェアとソフトウェアの關係に (なぞら) へられる。人間の視點ではなくミームの視點に立ってみれば、人間はミームを實行しミームを傳達する爲の生體機械だ。全ての XX 主義者は XX 主義と云ふミームを(機械的にではなく)生物的に實行してゐるに過ぎず、そのやうに考へれば XX 主義者の行爲にその行爲者の意思は存在しないものとして良い。従ってその XX 主義者がどんな衝撃的な事をしても、その人間が何か良い事をしたり惡い事をしたりしたわけではない。ただ XX 主義に感染し、それを生物的に實行したに過ぎない。

 ところで佛教徒はミームの實行を完全に辭める事をどうやら「解脱する」とか「涅槃に入る」とか言ふらしい。まあ私には關係無いしこの記事にも別に關係無い。


 初音ミクが JASRAC された件について

 みっくみくがJASRACされた?!(訂正というか続き?)
 我々の立場から見れば、初音ミクの起こした動きは DTM オリジナル曲の文化が新たな活力を得た動きと云ふ事になるのだが、かつて教會を通さずに直接神にアクセスした者が魔女として殺害されたのと同じやうに、利権團體を通さずに直接個人が曲や映像を作って個人がそれを視聽すると、何故か利権團體には大きな打撃が與へられる事になる。魔女の行爲によって教會の存在意義が脅かされた事と同樣に、個人製作・個人視聽によって利権團體の存在意義が脅かされるからだ。だからここへ來て突然 JASRAC が牙を剥いたわけではなく、恐らくはドワンゴが牙を剥いたわけでもなく、この事件は今まで延々と續いて來た著作權主義ミームと著作自由主義ミームの戰爭の一局面に過ぎない。結果としてこれはみっくみくの作者がJASRAC に權利を譲り渡す事がどんな意味を持つのか知らなかった爲に起きた事件のやうであり、Blog の記述を讀む限り本人はその事を後悔してゐるやうに思へるし、この事が發端で初音ミクブームが (つひ) えたら益々後悔する事になるだらうがそれは別に Ika 氏の責任ではない。ミーム同士の戰爭はとっくの昔から始まってゐて、今も續いてゐるし、今後も終はる氣配は全く無いからだ。初音ミクが戰死すれば我々は大いに泣き、その死を悔やむだらう。それでも戰爭は終はらない。私は彼女が生き存へる事を願ふ。

 本當は、戰爭なんか無ければ良いのになあ。多分中東の人も然う思ってゐるんだらうけれど…


 オープンソースに關はる事について

 誰に何と言はれようと何をされようと、この一線だけは絶對に譲れないのだが、私は兵士である。銃彈を散蒔 (ばらま) く代はりに、著作自由主義ミームに感染して、その結果として個人で書いたコードを無差別に散蒔く兵士だ。私だけではない。オープンソースの賛同者は皆、その意圖があらうと無からうと著作權主義ミームに對する攻撃を仕掛けてゐる事に變はりはない。著作權の正當性を否認する言論は殆どタブーのやうになってゐるから私のやうな青臭い教条主義者しかこんな事を堂々と言はないだけで、やってゐる事は皆同じ。私は自分の行爲(public domain で自作ソフトを配布)を少しも恥ぢるつもりは無いが、私は兵士であって魔法使ひではないのだから、天候を操ったり時間を止めたりする事は出來ず、ただ默って自分の仕事を、任務を遂行するのではなく自分の仕事をするしかない。

 著作權主義者は戰爭に負ければ利権を失ふ。著作自由主義者が負ければ文化を失ふ。實際には然う簡單に戰爭は終はらないのでどちらも極論ではあるにせよ、どうしても私には自分の陣營の方が不利のやうに思へるのだが、その點については天才の中の天才であり戰士の中の戰士である Bob Marley が歌った通りなのだらう。曰く、"Every man thinketh his burden is the heaviest." 「誰もが自分の荷物を最も重い物だと思ってゐる。」

_ sábado, 13 octubre 2007
Cuenta Larga = 12.19.14.13.4; tzolkin = 6 Kan; haab = 12 Yax [Trackback Ping]

さっき風呂に入ってゐたら脳内で知らない曲が流れ出したのでメモしといた。
http://ccm.sherry.jp/tmp/2007-10-13.mp3
http://ccm.sherry.jp/tmp/2007-10-13.mid

偶にある事なのだが大抵は電車の中だったりして家に歸る頃にはもう忘れてゐる。

_ viernes, 5 octubre 2007 HsHyperEstraier 0.1
Cuenta Larga = 12.19.14.12.16; tzolkin = 11 Cib; haab = 4 Yax [Trackback Ping]

HyperEstraier の Haskell 用バインディングである HsHyperEstraier を公開した。

_ domingo, 23 septiembre 2007 明晰夢
Cuenta Larga = 12.19.14.12.4; tzolkin = 12 Kan; haab = 12 Chen [Trackback Ping]

 久々に明晰夢を見た。

 私は町田驛の周邊を歩いてゐる。現實の町田とはかなり異なるが、夢の中ではそこが町田と云ふ事になってゐる。歩いてゐた所、突然眩暈 (めまい) がして仰向けに倒れた。丁度そこに壮年の白人の男が居り、私の腕を掴んで立たせてくれた。私は咄嗟 (とっさ) に "Ah, thank you." と言った。こんな状況なのに「上手く發音出來たなあ」などと思った。

 折角立たせて貰ったのだが、少し經つとまた再び眩暈がして倒れた。白人の男はもう居なかった。邊りを見回すと、そこが何處なのか判らなくなってゐた。景色が全く見覺えの無いものに變容してゐたのだ。

 ここで目が覺めた。時刻は午前五時半頃。とても酷い氣分だった。起床直後に飮むやうに言はれてゐる抗不安劑を服用、約三十分後に氣分が落ち着いて來て、再び眠くなってきたので寢る事にした。

 私は自室に居る。自室に本來無いやうな空間が拡張されてゐて、異樣に (ひろ) くなってゐた。「あれ?私の部屋はこんなに廣かったっけ?」と思ふ。廣がった部分にドアが取り付けられてゐて、外に出る事が出來た。

 外の景色は高臺からの素晴しい眺めになってをり、完全に現實のものとは異なってゐた。この時點で「あ、これは夢なんだ」と氣付いた。部屋から續く道の脇には他の家々の庭があった。ある家の庭には老人が居た。ある家では白人らしき住人が外に出て庭の芝生に座ってジャズを聴いてゐた。聴いた事の無い曲だったが私はその曲を氣に入った。庭と道の間にはコンリートの低い壁があり、その壁に顎を乘せると、ウッドベースの低音から來る振動が感じられた。「夢でも振動を感じられるんだ」と思った。

 「明晰夢を見るなんて珍しい。面白いから他の部屋も見に行かう」と思って、先づ風呂場を見に行った。するとそこの樣子もまた完全に變はってゐた。湯船も床も壁も全て木製(恐らく (ひのき) )。室内だけでも樣々な風呂が六つも七つも在り、露天風呂まで同じだけ在った。自宅の風呂と云ふ設定だった筈なのにどう見ても温泉テーマパークであり、知らない人々も大勢風呂に漬かってゐて、私は嬉しさのあまり服を着たままザバザバと入ってしまった。

 大小樣々な形の風呂に取り圍まれるやうにして、どうもレストランのやうに見える六角形の部屋が在った。「多分レストランなんだらうなあ、私の自宅だったはずなのに…」と思ひながら暖簾 (のれん) を潛ると、案の定そこはレストランであり、店員の若い女性が「いらっしゃいませ」と聲を掛けてきた。私が「すみません、風呂に入ってびしょ濡れなのでまた後で來ます」と言ふと、女性は笑って「そうですか」みたいな事を言った。

 場面變はる

 風呂を出て、旅館の廊下のやうな場所を歩いてゐる。廊下の真ん中に幅一メートル程の溝が作られてをり、枯山水と言ふべきか、細かい砂利が敷いてあった。水は流されてゐない。風情があるなあと思った。枯山水の或る地点には苔の生えた場所があり、私は「この苔はわざわざ移植したのかな?苔ってこんなに乾いた所では生きられないはずなのに」と思った。

 突然眩暈がして、幅一メートルの枯山水の中に倒れ込んでしまった。何とか起き上がって川を見ると、そこに私の定期入れが落ちてゐた。倒れた時にポケットから落ちたらしい。

 ここで目が覺めた。時刻は十一時頃だった。

-----

 夢の分析は、今はとてもする氣になれないので、しません。最初の夢の白人の男はどう考へてもクリニックの先生の象徴であり、その夢で起きた事は全て、二度目に倒れた事を除いてはクリニックへ行った時の事と完璧に對應が取れてゐますが、詳しくは説明出來ません。

_ miércoles, 19 septiembre 2007
Cuenta Larga = 12.19.14.12.0; tzolkin = 8 Ahau; haab = 8 Chen [Trackback Ping]

 遂に醫師に診て貰った。病名は告げられなかったが、出された藥を調べてみると抗鬱劑、抗不安劑、睡眠導入劑であったので、まあどのやうな診斷が爲されたかは想像が付く。精神科は私が想像してゐたよりも恐しい場所ではなかった。

 今日私の取った行動と私の身に起きた事にはどうにも現實感が無い。もしかしてこれは夢であり、まもなく覺めて、またしても病院へ行かうか行かざるべきかで迷ひ續ける日々に戻ってしまふのではないかと不安だ。もしさうなったら私はこの夢と同じ行動を現實でも取れるだらうか。

_ sábado, 25 agosto 2007 HsOpenSSL / HsSVN
Cuenta Larga = 12.19.14.10.15; tzolkin = 9 Men; haab = 3 Mol [Trackback Ping]

 書き忘れてゐたが、Haskell 用の OpenSSL バインディングと Subversion バインディングを公開した。いづれも全部の機能をカバーしたわけではなく、特に HsSVN の方は libsvn_fs のほぼ全部と libsvn_repos の一部しかカバーしてゐない。まあそれでも何かの役には立つだらう。

 HackageDB: HsOpenSSL-0.1
 HackageDB: HsSVN-0.1

_ jueves, 16 agosto 2007 Tae Kim's Japanese guide to Japanese grammar
Cuenta Larga = 12.19.14.10.6; tzolkin = 13 Cimi; haab = 14 Yaxkin [Trackback Ping]

Tae Kim's Japanese guide to Japanese grammar

 英語による日本語文法の解説サイト。非常に優れた解説になってをり、助詞「は」と「が」の違ひなどは中學校の國語の教科書よりも的確に説明されてゐるのではないかと思ふ。この blog を讀んでゐる人には恐らく必要無いが、もし身近に英語の讀める日本語學習者が居れば、是非これを紹介してあげて慾しい。

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 今朝は長い夢を見たのだが、起きて直ぐに内容をメモしなかったので、もう殆ど思ひ出せない。辛うじて思ひ出せる事は、[1] 叔母が事故または他殺によって死に、私はその死を泣いた。[2] 敵の集團に命を狙はれ追はれてゐて、私は仲間と共に逃げた。[3] 長い長い坂があって、我々はそれを登ったやうだった。[4] 戰闘シーンがあり、私も誰かを殺したやうだった。[5] パトカーから必死で物陰に身を隠したが、いよいよ隠せなくなった時、仲間の提案により隠れるのを辭めた。

 完全なメモがあれば意味も判るだらうが、もう遲い。惜しい事をした。それにしても記憶に殘る夢は殆ど人を殺したり殺されたりしてゐるやうだが、別にいつもそんな夢ばかり見てゐるわけではない。ただ穏やかな夢は記憶に殘り難くなった。昔はもっと平和な夢を見てゐたと思ふ。

_ martes, 17 julio 2007 維新政党・新風 政見放送
Cuenta Larga = 12.19.14.8.16; tzolkin = 9 Cib; haab = 4 Xul [Trackback Ping]

 撰擧期間中なので言葉に氣を付けないとアレなのだが、我らが維新政党・新風の政見放送が YouTube にアップロードされた。在日朝鮮人問題、創價學會問題、部落解放同盟問題、核武装問題などなど、これでもか、といふほど新風の主張が詰め込まれてゐる。新風にタブーは無い。これは必見です。

 維新政党新風1/2
 維新政党新風2/2

(7/19 追記。2/2が削除された。現時點では YouTube 以外にもアップロードされてゐない模樣。)

_ lunes, 16 julio 2007 偽林檎 開発版 / YAYA プラグイン
Cuenta Larga = 12.19.14.8.15; tzolkin = 8 Men; haab = 3 Xul [Trackback Ping]

偽林檎 開発版
http://ccm.sherry.jp/cgi-bin/dita/dita.cgi/pseudoapple/transfer/pseudoapple-unstable.tar.bz2

* バルーン: \![*] などのコマンドでバルーン内に画像を表示させると、
その画像が消えなくなってしまうバグを修正。このバグは #108 での変更
により入っていた。

YAYA プラグイン
http://ccm.sherry.jp/cgi-bin/dita/dita.cgi/yaya/transfer/yaya-plugin-Tc524-4-0.nar

* YAYA Tc524-4 から作った偽林檎用栞プラグイン。Emily で動作確認。

_ domingo, 15 julio 2007 海、祭りの夢、櫓
Cuenta Larga = 12.19.14.8.14; tzolkin = 7 Ix; haab = 2 Xul [Trackback Ping]

 海に居る。時刻は昼。現實とは異なり、ここが自分の家の近所といふ事になってゐる。黒い筒に砂を詰めてゐるのだが、その筒の底は網状になってをり、乾燥した細かい砂が穴から落ちてしまふ。そこで何か良い方法は無いかと思ひ、邊りを見回すと、海の生物の死骸のやうなものが落ちてゐた。それを筒に詰めてから隙間に砂を詰めれば目的を達せられるだらうと考へて、氣味の惡さを我慢して實行。するとどうやら死骸だと思ってゐた生物は生きてゐたやうであり、ぐにゃぐにゃと動き出した。「これは筒から出してやらなきゃいけない」と思って出してやると、その生物は小さな蛸だったらしい。

 場面變はる。夜。新宿に用事がある事になってをり、そこで私と女性 A が待ち合はせしてゐた。A は現實に存在しない。夢の中の私と A は互ひに (しき) りに身體的に接觸しようとする。年齢は同じくらゐ。

 待ち合はせの場所と時間で A と會ったのだが、突然 A は「ここ渋谷ぢゃない!?」と言ひ出す。A に言はれて私も周圍を見回すと、確かにそこは渋谷だった。どういふ譯か、私も A も揃って新宿のつもりで渋谷に來てしまったやうだった。

 渋谷から新宿まで走って移動する事になる。途中、長くて急な下り坂があり、二人で何故か腕を組んで駈け降りた。勢ひが付き過ぎて轉びさうになり、私は「危ない!」と思ふ。

 新宿へ向かふ筈だったのに、いつの間にか私の地元へ行く事になってゐた。地元ではもうすぐ祭りが始まる事になってゐた。二人で走ってゐるのだが、私の體力が先に尽きて、A がどんどん先に行ってしまふ。途中、歩道に三つの鳥居がある。鳥居を潛るルートと、その脇を通るルートの二つが存在する。半被 (はっぴ) を着たおじさんが歩いてゐて、私を見て嬉しさうに聲を掛けて來た。何と言ってゐたのかは思ひ出せない。私は最初の鳥居を潛るのだが、A がもう一つのルートを通るので、私も連られてそちらを通る。「こんな所に鳥居なんてあったかなあ」と思ふ。

 地元に着いた。いつの間にか時刻は日中だった。現實には存在しない小さな小屋があり、そこで色々な種類の飴が賣られてゐる。A と二人で中に入る。小屋には飴だけではなく、何臺ものガシャポンの機械があり、そして何故かエロゲーのポスターが壁に何枚も貼られてゐた。

 祭り會場へ。地元なのに見た事も無い場所が會場になってゐる。現實に存在しない場所が夢に出て來てそれを不思議に思はないといふ事は良くあるのだが、ここでは夢の中でも不思議に思ってゐる。なんと、山一つが會場だった。その山の下に、洞窟のやうでもトンネルのやうでもある場所がある。洞窟の中を小川が横切ってをり、その小川を越えた先に階段があり、その階段を昇ると祭り會場である。洞窟の天井は非常に高く、小川の前に大鳥居が (そび) える。既に邊りはとても混雜してゐた。作法などを私は知らなかったので、そのまま鳥居を潛らうとしたら、周りの人に「さうぢゃないよ。まづ御辭儀をしてから通るんだよ」と怒られる。大鳥居を潜って小川を越える前に二禮二拍手一禮をする事になってゐるらしいので、さうしてゐると、突然眩暈がして意識が遠くなった。地面に倒れる前に誰かが支へてくれたやうだったが、その時には既に視覺を失ってゐた。

 氣が付くと私は鳥居と小川を越えて立ってゐた。A が居なくなってゐた。私は階段を昇る。階段の両側には小さい (やしろ) が幾つも幾つも並ぶ。時刻は夕刻だった。

 唐突に、實家がビール工場であった事を思ひ出した(現實とは異なる)。私は町會の發行物に、實家の營業にとってマイナスになりかねない事を不用意に書いてしまった事になってをり、その事を母に怒られる。――このエピソードはストーリーの他の部分との關聯性が薄く、本當にこの通りの順序で插入されたエピソードだったのかどうかは、今では自信が無い。

 祭りの始まり。これほどまでに大掛かりな祭りが町で準備されてゐたといふのに、知らなかったとは言へ地元住民の私が何ら手傳ひをしなかった事について、申し譯無く思った。物凄い人數が集まってゐる。花火が打ち上げられた。

 場面變はる。いつの間にか日中に。大鳥居で A と (はぐ) れた事をそれまで氣にしてゐなかったのだが、A の不在が急に寂しくなる。A を探し始めるのだが、大變な混雜具合であるため、どうしても見付けられない。

 會場は、山は山でも石灰のやうな山であり、木が殆ど生えてゐない。全體的に白っぽい。

 半被 (はっぴ) を着たおじさん達が、五、六人。祭り會場である山の細い道といふ道を、掛け声を掛けながら練り歩く。そのおじさん達の後に群集が續き、全體として蛇のやうになってゐる。小道を歩き、橋を渡り、坂を登り、下る。これは土地を清める爲の儀式であるらしかった。最初は多數の群集が後に續いてゐたのだが、殆ど走りながら山を登ったり下ったりしてゐるので、體力が保たない者が多かった。人數が少しずつ減って行き、最後には私の他に數名となってゐた。その私も既に限界だった。なんであのおじさん達はここまで元氣なんだらうと思った。誰も疲弊してゐる樣子が見られなかったのである。

 山頂に近い所に崖がある。その崖の上に縦横 5m x 5m ほどの臺が作られてゐるのだが、その臺は竹で組まれてをり、畳が敷かれてゐた。竹で組まれた臺へ續く道もまた竹で組まれた通路になってゐるのだが、その通路を跨って鳥居が立ってゐた。ここでは翌日に茶道に關するイベントが行はれるらしい。

 場面變はる。夜になった。A と一緒に、祭り會場から僅かに離れてゐる筈の氏神樣にお參りしたいと思った。近所にこれだけ知らない場所が出來てゐたのだから、神社の樣子も變はってゐるかも知れないと氣付いたからだ。でも A が見付からない。A の不在を寂しく思ふ。

 場面變はる。時刻は夕暮れ直後。場所も全く違ふ場所。山の中に地上から數百メートルもの高い (やぐら) が組まれてゐる。落下すれば死を免れない。櫓は二つあり、片方には私の家があり、もう片方には自販機が置いてある。その二つの櫓はロープを編んで作った橋で結ばれてゐるのだが、ロープが老朽化して一部切れてゐる場所があった爲、父と二人で橋を掛け直す事になった。その自販機にアクセス出來る事が、どうしても祭りの準備に必要らしい。――このシーンはどうも祭りが始まる前で、私は祭りの準備をしてゐるやうだった。

 目が覺める。

 - - - - -

 こんな夢を解釋するのは、私の力量では無理だ。始めから終はりまでサッパリ解らない。

 (海と筒と蛸) 海といふものは、まあ大抵は無意識の象徴だ。でもこのシーンで海そのものは大して重要ではなく、私は海に入ってさへ居ないのであるから、まあ砂と蛸を登場させる爲の背景と見て良いだらう。

 穴の空いた黒い金属製の筒に砂を詰めるといふ作業。いかにも無意味だし、無理な相談だ。しかしその目的を達成する爲に、海の生物の死骸を使ふ事を思ひ付くのだが、死骸だと思ってゐた生物は實は生きてゐた。簡略化すると――無意味な作業を完了させる爲に、死んだと思はれてゐた何かを使ったのだが、それは生きてゐた――これは現實の何かと對應してゐるのだらうけれど、判らない。判りたくもない氣がするので、これ以上考へない事にしよう。

 (新宿と渋谷) ここで登場する女性 A は、實在しない人物である。その正體は幾ら考へても判らなかった。夢の中で私はこの人物と道端で抱き合ったりしたのだが、私は現實でそんな事をした事は無い。

 二人で場所を間違へたのも重要な點と思はれるが、意味が解らない。間違へたから走って移動しようと云ふ發想も、譯が解らない。電車で移れば良くないか?この時點ではまだ私の體力が保たれてゐる。

 (祭り會場へ續く道) 歩道に跨がる三つの鳥居。この後のシーンで A と逸れてしまふのだが、既にこの時點で A が鳥居を避けてゐる點は、注目に價する。鳥居といふものは、非日常、無意識、聖域へ續く門だ。A と會った場所が渋谷のやうな、日常的な場所であった事もヒントになるだらう。日常性を象徴してゐるかのやうな A は、私は一緒にさうして慾しいと思ってゐたのだが、鳥居を潜る事が出來なかった。A は三つの鳥居を避けたが、私は最初の一つを潜った。恐らくこれが、後に A と逸れた原因になったのだと思ふ。(そして理由は判らないが、今この文を書いてゐて泣きたい氣分になった。)

 (飴を賣る小屋) この小屋も祭りの一環として建てられたらしい。多種多樣な飴を賣る店。飴とは何か。ガシャポンとエロゲーは何か。全く解らない。この小屋は祭りの一部であるのにまだ A が一緒に居る點はヒントになると思はれる。

 (祭り會場へ續くトンネル) 洞窟、道を横切る小川、そして鳥居。無意識の世界へ續く道として、これ以上相應しい場面設定も無いだらう。無意識どころか、あの世に續いてゐてもをかしくないやうな道だ。鳥居の前で禮をする私が意識を失った事も象徴的で、要するにそれは目が覺めたままでは潛れない門であったのだ。門を潜って目が覺めると、A が居なくなってゐた。

 (ビール工場) この脈略無く插入されたやうなシーンは一體何?何を手掛りにすればこのシーンの意味が解るのだらうか。まあ夢ではさういふ事も (たま) にはある。ひょっとして空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の事を突然思ひ出して、氣が逸れたとか?

 (祭りの始まり、花火) 破壊的な衝動の高まり?今までさうした夢は何度も何度も見たが、いつもそれは、料理を盛った皿を床に叩き付けるやうな、大變に後味の惡い夢だった。それが今度は花火で表されたのだとすれば、大きな進歩だ。

 (A の不在) ここで急に A の不在が寂しくなる。門を潛り、祭りが始まり、花火が打ち上げられ、一息吐いた所だった。非日常の世界に居ると、孤獨になってしまふと云ふ意味か。もし本氣で A を探さうと思ったら、恐らく祭り會場から出なければならなかった筈だ。實際にはさうしなかったのであるから、私は A よりも祭りの方を優先した事になる。

 (半被のおじさん) 山の隅々まで歩き回るおじさん達と、その後に續く群集。通った場所が清められる點でも、どれだけ走り回っても疲れた樣子を見せない點でも、あのおじさん達は神樣だったのではないか。

 (崖の上の臺) 最後の意味不明な櫓のシーンと繋がってゐる。これは恐怖についての話か?でもその割には、竹で出來てゐたり、畳が敷かれてゐたり、そこで茶を飲む豫定があったり、通路に鳥居があったりして、どうにも恐れを感じさせない。

 (夜、氏神樣) A と一緒に神社の樣子を見に行きたかったのに、やはり A が居ない。その事實は A のこれまでの行動と一貫してゐる。

 (二つの櫓) 何だこのシーンは。場面設定も滅茶苦茶だし、それまでのシーンと時間的に前後してゐるし、おまけに私は祭りの準備に加はれなかった事を殘念に思ってゐた筈だぞ。

 劣化した橋を掛け直す試み。その向かふには何故か自販機があるのだが、その自販機は祭りの準備に必要だと云ふ。だから理由はともかくここで自販機は祭り、非日常、無意識の象徴になってをり、そこへ掛かった吊り橋は劣化して、掛け直す必要がある譯だ。

_ sábado, 14 julio 2007 偽林檎 #109
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偽林檎 #109
http://ccm.sherry.jp/cgi-bin/dita/dita.cgi/pseudoapple/transfer/pseudoapple-109.tar.bz2

* Intel Mac でバルーンを表示しようとするとクラッシュする問題を回避。
参考: http://www.stripe-net.jp/cocoa/program/blog20070103.html

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